おぼろ月

2月24日(土) 晴れ

3時間しか眠れていない午前6時。
ジャストタイムの電話は礼儀と緊急を感じる。
千代美さんだった。
完全にパニックになっている。

ごめん、早うに、寝とったんじゃろ?
父さんがおかしいんよ。
今朝1時半頃、ベッドからおらんようになって。
タンスの中のものが全部散らかって、
トイレの中に服が脱ぎ散らかしてあって、
探し回ったら、ふすまと飯台の間でごぞごぞ動きよって。
足が立たんし、失禁しとるけど、怒って着替えをさせんのよ。
今、娘に電話して、着替えだけさせに来てくれることになったけど。
あの人(ケアマネさん)に連絡してもらえんじゃろか?

「今、何も着てないん?」

何やらかんやら分からんものを巻き付けて、脱がそ思たら怒るんよ。
力が強いから危ないんよ。

「夕べの様子はどうじゃった?」

そういえば、晩ご飯のあとから変じゃった。

「熱、計ってみて。熱が出るとそうなりやすいよ」

あ、38.4ある。

「やっぱり。病院で診てもらって下がったらよくなるよ」

そこの整形でもええじゃろか?
知らんとこは、父さん嫌がって行かんのよ。

「ええよ。ケアマネさんは休みじゃから月曜日に言うとくよ」


ご主人の介護認定審査は3月12日になっている。
今からだと治ってしまうだろう。
惜しいなぁ。
現状の要介護1は何とか確保したいが、デイサービスに行き始めてからしっかりしてきているので要支援に落とされるかも知れない。
本当は要介護3に持って行って特養申請して順番待ちがベストだけど、国が基準を絞っているから難しい。

発熱で医療保険利用についてはケアマネさんの管轄ではないから、家族がするしかない。
ケアマネさんは介護保険利用の範囲で助け手になる。

千代美さんは77歳でご主人は85歳。
娘さんは15キロ先に住み、フルタイムで働いている。
できるだけ一人で頑張って娘に負担をかけないようにしているが、こうなると難しい。
女手二人で歩けないご主人を車に乗せて連れて行くのは難しいので、娘さんの息子にも来てもらうことにした。

それにしても、何の熱だろう。

午後2時。
電話をしてみた。
ご主人は40度の熱。
点滴をして、看護師さんたちに車に乗せてもらって帰ったものの、下ろせないから車の中。
娘と孫が仕事が終わるまで車で待たせると。

「整形外科ではどう言われたん?」

熱が下がらなかったら救急病院へ。
明日が医療センターで、明後日がどこやらで…。

「ポータブルトイレとか、あるん?」

何もないんよ。
さっきオムツを買ったけど、高いねー。

「トイレ、友達のとこに聞いてみるね」

1日4回電話してくる友人宅へは、母のポータブルトイレが行っている。
1割負担1万円で買った温水ウォシュレットのトイレなのに、母は一度も使わないままだった。
友人宅へあげたその日に、友人のお母さんは入院、寝たきりになり、もう在宅介護はとても無理状態。

いつでも引き取りに来てね、オムツも全部あげるから。

運ぶのには息子の手がほしい。
息子は畑にみかんを植えたばかりで、写真を撮っていた。
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「千代美さんとこのご主人が…」
「ああー、それ、分かる分かる、大変じゃねー」

息子には母の介護をかなり手伝ってもらった。
大便まみれの母を洗ってもらったり、立てないのを抱えたり。
毎回嫌がらず、可愛がってもらった祖母が可哀想でたまらないという顔をしていた。

トラックでトイレを取りに行った。
オムツは、母が使っていたもの、友人の母が使っていたもの、友人の実家の母が使っていたもの。
トラックの荷台いっぱいにオムツの山。
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走っていると友人から電話があった。
医療センターの救急当番は今日だという。
千代美さんは難聴なので聞き間違えたのだろう。
明日は街の中の病院で千代美さんには無理。
医療センターは結核療養所だったところだから、走りやすい田舎。

「行くなら今日だね」
「今日とかより、40度の熱を放ってはおけんじゃろ」
…息子の方が筋が通っているかも。
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わたしでは絶対に迷う山道を、楽しそうに後輪を滑らしながら走る。
遠くの友人からみかん苗の問い合わせメールが届くが、返事は細切れ。
横転しそうで、字を打っていると酔いそうになる。
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山をぐんぐん上がると千代美さんの家があった。
車の中にご主人を座らせ、洗濯物を取り込んでいた。
「来たよ!」
声をかけて、オムツの山を見せた途端に千代美さんはウワッと泣いた。
ご主人が狂ってしまって、どんなにか不安だっただろう。
わたしも、母が初めてこうなったときの衝撃は言葉では表現できない。
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トラックで誘導して医療センターに行くことになった。
入院を想定してオムツとパッドを持って行く。
これは、わたしが母のために買っていたもの。
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ご主人の車の横に吊してあるパジャマは、わたしが夫のために買っていたパジャマ。
悲しみがこみ上げてきた。
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千代美さんの車が後ろから追ってくる。
緊張で何も考えられないだろう。
頑張れと思う。

息子が一人で話し続ける。
「千代美さんとこの家、すごかった。
畳はぼろぼろで波打って、メチャメチャで、家にいたら気分が萎えるよ。
あそこで二人で、旦那さんの面倒見ては、ほんとに大変になるよ」
わたしは、うん、うん、としか言えない。
ご主人が亡くなったら家は捨てて娘さんと暮らすことになっている。
だから、家はもう構わないが、トイレを運んだ息子に見られてどんなにか恥ずかしいだろう。
12月にケアマネさんを入れずに大風邪を引かせたが、とても見られたくないだろう。

こんな山奥で生まれてしまったんだから仕方がないけど、姉は大阪、妹は広島。
耳が遠い千代美さんが一人、貧乏くじを引いたような気がする。
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3時間しか寝ていない自分、もうエネルギーが切れている。
メールを打つたびに吐き気がする。

病院に着いた。
ここは、母が亡くなった病院。
母が意識不明で運ばれた病院。
また、悲しみが広がる。
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聞こえない千代美さんでは全く受付が出来ない。
息子を先に帰らせて残ることにした。

インフルエンザの可能性がある患者は隔離される。
周りは高熱で顔を真っ赤にした人ばかり。
「A型だった」「B型だった」「病室は満床」
ここは各種インフルで満タン、入院は出来ない。
感染するんかなぁ、自分。
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救急車は6台ずつ団子になってやってくる。
自力で行った患者は待たされる。

ご主人がトイレに行きたいと言った。
失禁しているズボンがずっと気になっていた。
トイレで着替えよう。
もう慣れきっている病院、どこのトイレが使いやすいかわたしは知っている。

車椅子から立たせると、前のめりに倒れてトイレタンクにしがみつく格好になってしまった。
転倒しないように、大柄なご主人を千代美さんが叱りつけながら支える。

ごめん、パンツ下ろして…

「いいよ、慣れてるよ」
いや、全然慣れてないよ、人のご主人のパンツ脱がせるなんて。

後ろから、パンツをずり下げた。
グショグショに失禁しているズボンが引っかかって下がらない。
ご主人、我慢できなくなって出してしまった。
手がビショビショになる。
…やっぱり熱がある…
ご主人が何かつぶやいている。
「いかんのう…いかんのう…わしは、いかんのう」
何もかも見られて恥ずかしいのだろうと思う。

わたしの友人は、遠くで、頭脳が明瞭なまま動けない。
プライド高く生きてきたのに、何もかも見られても隠せない。

人間の、肉体と魂は別だと、わたしは思っている。
移ろいやすい心ではなく、霊魂こそがその人を表すと思う。
醜い肉体に清らかな霊魂が存在する人をいっぱい知っている。

でも今は、大声で励ます時。
「熱が下がったら治るんだからしっかりしなさい!」
ご主人はびっくりしてわたしを見た。
大きなマスクをしているので誰だか分からない上に、熱で混乱している。
でも、自分で体を起こそうと頑張り始めた。
足を開かせないとオムツもパッドも出来ない。
この際、仕方がないので、トイレの床に膝をついて足を広げさせ、尿取りパッドに何もかもしまい込み、マジックテープ止め式のオムツを巻き付けた。
ああ、セーターもシャツも下着もズボンも、全部、夫が着るはずだったもの。
このくらいのことで涙が流れてしまうのは、疲れているからだと思う。

診察室に呼ばれた。
千代美さんは椅子に座り込んでしまっている。
ショックで疲れてるんだろう。
無理ないよ。

わたしが家族になり説明をした。
インフルエンザのA型の判定が出た。
6時から点滴が始まった。
ごった返していて寝かせる場所がなく車椅子で点滴2時間。

一段落してめまいがする。
もう限界なので、千代美さん夫婦を置いて帰ることにした。

「これで大丈夫。
点滴で熱が下がったら帰りは歩けるようになるから」

千代美さんはまだ緊張しているが、嬉しそうにした。
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息子が迎えに来るまで外で待った。
死にそうに疲れてしまった。
この数日、眠れていない。

おぼろ月。

手を洗わずに除菌ジェルだけを塗ったことを思い出した。
帰って、お風呂を洗って、お風呂で洗おう。

夫はわたしに何も介護をさせなかった。
回らない頭で、ぼんやりとそんなことを考えた。
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この記事へのコメント

紀の国屋
2018年02月27日 02:27
23日からブログが更新されないので
少し心配しておりました。
知人の為に自分を犠牲にしてまで動く
はのはのさんは勿論のこと、息子さんの
『40度の熱を放ってはおけんじゃろ』
の言葉に、人情深いお人柄を感じます。

世の中の、特に男性は社会に出て経験を
積んで、それなりの年齢や立場になると、
仕事ばかりに頭を使って、家族や周りの
人達のことが目に入らなくなりがちです。
そういう世の中にあって、はのはのさんの
息子さんは、休みの日にみかんの苗を植え、
そして、お母さんから頼まれた人助けを
自分が出来る限りに尽くし、老人二人の
将来まで案じておられますよね。

街頭で『私は国民の為に!、云々、』と
マイクを片手に声を張り上げ訴えている
政治家より、身近な人達の力となって働く
はのはのさんと息子さんこそ、この社会に
いなくてはならない人だと思います。

お二人に、心から拍手を送ります!

   「一隅を照らす者は 国の宝なり」

はのはの
2018年02月27日 08:19
おはようございます、御坊様。

スタンプを押すのは、かなり難易度が高そうです。
何事も、やってみないと分からないものですね(笑)

今のところ、誰もインフル感染はなさそうです。
ありがとうございました(笑)
2018年02月27日 08:20
おはようございます。

寝不足の上に、ご主人の思い出に浸って
感傷的だったはず。
他人の為に、忙しく尽くして、
また、ご主人のことを思い出して。。。。

でも、そんなはのはのさんを
月と一緒にご主人が明るく照らしてくれて
いましたね。
はのはの
2018年02月27日 08:24
おはようございます、チャーミーさん

同じ時間にここに書いているなんて、千里眼ですか

太陽もいいけれど、月の見守りは優しく感じますね。
ありがとうございました

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