鏡台

1月9日(火) 雨

粗大ゴミの回収日。
白い鏡台を出した。
画像


私が結婚するとき母が買ってくれた鏡台。
奮発してくれたのだが、知的障害者の父や向こう意気だけの母との同居の神経の休まらない日々の中で、この鏡台に笑顔を映した記憶はあまりない。
10年間私が使い、新築した家に置き場がなくなり、隣の父母の家に収まった。

泥まみれの農家をしていても、母は若い頃から化粧品にだけはお金を惜しまず、95歳になっても毎朝この鏡台の前に座ってお化粧をした。
町から嫁に来たという誇りなのか、出かけるときはいつもおしゃれをしていた。

年老いて、化粧品を次々としまい込んでは忘れるようになると、化粧品も買ってくれないと嫌な言い方をした。
その度に買ってあげたり、私の派手な口紅をお下がりしたりした。
母は喜んで「ありがとう」と言った。

認知症が進み、口紅を繰り出すことを忘れてくると赤鉛筆でほじって塗るようになり、どんな色鉛筆でも塗るようになった。
母の唇が紺色に塗られていたときには驚いた。
目の前に立っている私を自分の娘だと分からない日が増えてきても、母はお化粧は忘れなかった。

10月9日、この家での母の最後の朝。
もう何も分からない母はウロウロするばかりで着替えも出来ず、3泊のショートへ行く時間にお化粧が間に合わなかった。
私が迎えの職員に挨拶している間に、玄関から鏡台の前に駆け戻り、座り込んで動かなくなった。
急かせるとベッドに突っ伏し、嫌だ嫌だと布団を掴んで大声を上げた。

こんなに嫌がるなら休ませればいいようなものだが、介護疲れで自律神経が不調になり半月以上も高熱が下がらない私にはその余裕はなかった。
職員が母を背負うために部屋に上がってきた。
母は布団を掴んで離さず、ますます大声を上げた。
「娘さんが具合が悪いから病院へ行かないといけないのですよ」
職員がそう言うと、母はすくっと立って玄関に出た。

長らくお世話になっているデイサービスやショートステイも母の記憶の中ではいつも新しい場所で、どこに連れて行かれるか不安でたまらない。
その度に、いつも行っている楽しい場所で面白かったと笑って帰って来ているよと説得していた。

その朝、見送る私に「どこに連れて行かれるか知らんけど」と怒りを込めてねめつけた。
母にとって目の前に立っている私は娘ではなく、食事を作る係の職員になっていた。

母はいつも礼儀正しく挨拶して出かけるので、こんなに抵抗したのは初めてだった。
施設では母の抵抗について話し合い、かなり気をつけて接してくれたようだった。
母は機嫌良く夕食の親子どんぶりを完食し、機嫌良く眠り、就寝中に脳出血を起こし意識が戻らないまま12日目に亡くなった。

他人を見るように私を見て、怒りを込めてねめつけながら投げつけた言葉が、最後になった。
とても元気なまま亡くなったので母の死に顔は艶やかできれいだった。
頬紅をさすと急に若々しくなった。
藤間流の着物を掛け舞扇を胸に抱き、献体のため大学病院へと向かった。
25年前に強い意志で献体登録した母、最後まで自分らしさを貫いた母は立派だったと思う。

画像








ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック