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zoom RSS 旅の記録 浜松(2)

<<   作成日時 : 2018/06/14 21:22   >>

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(続き)

森町から浜北のアピタに戻り、娘夫婦が母にデイサービスに持って行くバッグを買ってくれた。
母は喜んだ。
が、10分もしないうちに忘れてしまうので申し訳なく思う。
その時喜んだのだから良かったのではあるが、誰が買ってくれているのかは分からない。
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温泉に行った。
脱ぐだけに20分、着るのに30分。
手伝うと払いのけて怒るので、じっと待つ。
わたしたちを誰だと認識しているのか、何をしようとしているのか分かっているのだろうか。
こんな母を見るのは初めてで、きれいな温泉なのに、落ち着かない。
歩行もおぼつかなく危険で、娘が見ていてくれる間に、大急ぎで少し温まった。
これから、こんな生活になっていくのだろうかと絶望的な気持ちになる。

杏林堂でたくさんの介護用品を買った。
娘がわたしに栄養ドリンクを買ってくれた。
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娘の夫が母と留守番をしてくれたので、噴水を見に出かけた。
わたしに好きなものを買うように、娘の夫はたくさんのお小遣いを娘に渡していた。
いろいろ、嬉しく、薄暗い道を歩きながら涙が出た。

噴水はほんとうに感動的で、何もかも忘れて見てしまった。
まるで心があるように、音楽に合わせて、笑ったり走ったりする噴水。
びっくりしたり、しょんぼりしたり、水の向きや高さや照明で手に取るように分かる。
引き込まれて見てしまった。
来てよかったと初めて思った。
母の変わり様のショックより、噴水の感動が上回った。
嬉しかった。
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『夜は、尿パッドと防水シートを使って寝かせましたが、私が尿パッドをつけようとすると他人と思ったようで大声で激しく抵抗しました。
娘のマンションにいることは分からない様子でした。
明日は松山に帰るからと言うと、あんたはどこへ帰るのかと聞いたので、私が誰だか分からないようでした。

翌5月3日、尿パッドでは足りない失禁で起きてきました。
午前中に温泉に連れて行き、昼食後、松山に帰ることにしました』


いくら話してもわたしを娘だとは認識せず、怒りと恐怖で表情の変わった母を扱うのは難しかった。
母が不安でいることも想像できず、叱ってはいけないと分かってはいてもイライラする気持ちを抑えられなかった。
翌朝、大量に失禁したが、防水シートを敷いていたのでシーツだけで済んだ。
あんなに心配していた孫娘の幸せそうな家なのに、どこにいるか分からないのは本当に可哀想になる。
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天竜川を上流へと向かった。
ちょうど、天浜線の列車が横を通った。
ほぼ1時間に1本しか通らず、娘が撮影に出かけた時はたくさんのカメラマンが並んで延々と待ったそうだ。
ちょうど見れてラッキーだったねと笑った。
鉄道写真が好きなわたしのために、娘の夫が時間を選んだのだろう。
今まで、何度もそうしてくれていた。
後部座席の反対側に座っていたのが残念だった。
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秋葉ダムに行った。
ダム湖に架かる赤い橋で娘夫婦も息子も、母の写真をたくさん撮った。
もう長くはないと思っていたのだろう。
母はこの3人をとてもとても可愛がった。

人間はいつか死ぬ。
若いうちにそれを知ることは大切なことだと思う。
3人の心にそれが刻まれるように。
でなければ、この苦しさの意味が分からない。
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ダムの近くにある温泉に行った。
介護施設に併設されていて、母のために便宜を図ってくれた。
母に気を配りながらも、誰もいない温泉で神経をほぐす。
天竜川を眺めながら。
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浜北に戻り「キャナリィ・ロウ」でイタリアン。
お風呂上がりの母はよく食べた。
娘夫婦は寂しさが顔に出ている。
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社宅近くで娘夫婦と別れた。
誰も泣かず、ずっと見送っていた。
これから先のことを考えると、泣いている場合ではないと、きっと。
彼らは、ほんとうに良くしてくれた。
心から有難いと思った。

自宅まで609キロ。
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『娘夫婦にごく正常に挨拶し、午後2時に出発しました。
私に、あんたも一緒に帰るのかと言ったので、私が誰だか分からないようでした。
何度も休憩をしながら、夜11時半ころに自宅に戻りました。
車から降りると、自宅や私のことが分からず、あんたは幽霊かと言いました。
ずっと、私のことを他人と思っていたそうで、トイレに手をつないでいくときも偉そうに命令するバスガイドだと腹を立てていたようです。
車の中でもバス旅行と思っているようで、運転している息子に敬語を使いお礼を差し上げないととばかり言っていました』


ずっと、息子と話しながら帰った。
ときどき、後ろ座席の母に呼びかけた。
「運転手さんにお礼を差し上げなければ…」
母はそればかり言っている。
50年近く、母は仲間を率いて旅行に行っていた。
だから、自分がしなければと思い込んでいる。
わたしのことはバスガイドだと思っていて、トイレ誘導に手を引こうとすると、にらみつけて差しだした手を叩かれた。
それでも手をつなごうとすると、大声で叫んだ。
理性を失った声が、悲しい。
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養老SAで休憩した。
息子を運転手だと思っているので、他の乗客を気にして歩こうとしない。
休憩しながらも、自分をこんなところに連れてきてと怒っている。
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関ヶ原では毎回のように通り雨に遭う。

母は知っている地名を喜ぶ。
知らない地名も読んでは知っているふりをする。
母らしくて面白い。
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行きの草津で初めて大便を失禁した。
もう、母を連れて泊まりがけで出かけることはないだろう。
旅行好きな母、50年間も旅行ばかりしたのだから本望だとは思う。
わたしは、本格的に介護生活が始まる。
旅行どころではない。
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明石大橋を渡り、大鳴門橋を渡り、徳島のコンビニで適当なものを買って夕食。
もう、暗くて写らない。
到着は23時半。
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『自分の家に入るとすぐにエアコンをつけ、ペンがいると言うとすぐに取り出しました。おむつをはかせて寝かせましたが、失禁はしませんでした。
翌日、静岡で買ったお菓子を渡すと、あんたはいつ静岡に行ってきたのかと言いました。静岡の娘夫婦のところに行ったことは分かっていないようです。

警察に保護された顛末を説明させると、静岡や娘夫婦のマンション、パトカーで警察に行った部分の記憶はなく、枕カバーを2枚洗濯したあと(実際に自分の汚れたパンツを2枚洗濯して干していました)、老人センターの1階の事務所に行ったら閉まっていて、近所の人は皆知り合いなのになぜか東温市まで連れて行かれて、偉そうな新米の女性に質問され、ボケてない自分をボケ老人の枠にはめようとするやり方がよく分かったと言い、苦情を言ってやると怒っています。
東の向こうに連れて行かれたと思っているようで、場所を探しに行こうとしていますので、目を離したら出かけてしまいそうです。

ぼけてないから大丈夫だという誰かの声がはっきりと聞こえてくるのだそうです。ですから、自分は大丈夫だからと思いついたことは行動するので突然どこかへ出かけて行きます。

自分の記憶がなくなっていることは自覚しているようで精神的に落ち込み、娘との電話では話を合わせていますが、実際は忘れています。
旅行から帰って5日目ですが、ほぼ以前の感じに戻り、私が誰だかは分かっています。
環境が変わるとこんなにも混乱するのかと思いました。

介護認定見直しの訪問審査は今月26日に決まりました。
お手数をおかけしますが、意見書をよろしくお願いいたします』



自分、旅先のことは一切、夫に話したことがない。
今回も、母のことも含めて一切、話さなかった。


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